ボクたちはゲームに取りつかれて死んでゆく人間の最初の世代だ

近況といたしましては、なんとなくムラッときて、「フラワーナイトガール」というゲームを始めてみたのが、ほぼ200日前。
なんで200日などという数字を覚えているかというと、一日に一回ログインボーナスというのがもらえるのですが、それが200日目を達成したから。
おじさんだからいまだによく分かってないんだけど、ソシャゲというの?今までゲームというと、ゲーセンでやるもの、あるいはPSPやDSでやるものという認識だったのだけれど、これはパソコンのブラウザで行うものでした。
さてソーシャルというからには、何か他のプレイヤーと繋がりがあるのだろうとぼんやり思っていたのですが、どうもそんなことはない。一人でコツコツと毎日作業をする感じのものでした。(気になったのでちょっと調べたら、ソシャゲというのでSNS上で提供されるゲームといった意味合いらしく、となるとDMMで提供されているフラワーナイトガールは、ソシャゲではないのかもしれない。でも面倒だからこの文ではソシャゲと呼ぶ)
スタミナが一定時間で回復するので、それを効率的に使いながら、お金や、ガチャを回せる種や、ガチャを回せる石などを集めていく。女の子のキャラクターがたくさんいてその娘たちを集めたり、レベルアップさせたりするのが楽しい。リアルなお金を使わないとすぐに行き詰るのだろうと思っていたのですが、現時点でいわゆる課金はすることなく楽しめております。(シリアルナンバーがついた小説は買ったけども)
リアルなお金を使って何が出来るかというと、ガチャを回せる石が入手できたり、レアキャラが確定で貰えるチケットが買えたりするんだけど、まあそこまでしなくても…という気持ち。
そこでゲーセンでいくら費やそうと無駄に思わないボクが、この手のゲームに100円すら使う気になれないのは何故なんだろうねと自問したのですが…。
たぶん、ゲーセンで使うお金はプレイに対する対価。ソシャゲで使うお金はガチャに対する対価だからかなぁという今のところの結論。確かにガチャを回してレアキャラが出るか出ないかというドキドキ感、レアキャラが出た時の嬉しさというのは分かるんだけど、それはゲームの楽しさというより、ギャンブルの楽しさだと思う。そしてキャラが揃っていくのはとても楽しいけれどそれもゲームの楽しさではなく、コレクターの楽しさ。
ギャンブル要素もコレクター要素もゲームが内包していると定義すれば、それもこれもゲームの楽しさではありますが、狭義においてボクは「出来なかったことが、練習や試行錯誤によって、出来るようになる」ものをゲームだと思っていて、あんまり上達の要素がないソシャゲなるものを、心のどこかで「これはゲームじゃない」と思っているのかもしれません。というか思っているんだろうなぁ。
でも、フラワーナイトガールは面白いんだよ。矛盾に満ちた終わり方。この手のゲームがスマホでも提供されているのだから、そりゃあみんな小説とか読まなくなるわなぁ。